To Belong Essays ■ 今村宏之

たゆたっていんどねしあ。
~2億4千万人がうごめくインドネシア共和国。そのはざまで見聞きしたこと~

 

今村宏之・プロフィール
今村宏之インドネシアに関わりはじめて7年が経った。脱出するタイミングを逸しつづけている。毎日、同じような光景を目にし、同じ生活音を耳にするのに、飽きもせず見入ってしまうし、聞き入ってしまう。インドネシアの情景・ひとびとの暮らしの1シーンを求めて、今日も5畳半から飛び出す。2013年3月までインドネシア在住。

突撃レポート × ぶつかり稽古の日々。

インドネシアの珍妙怪奇な神秘談を見聞きしすぎて、なにがおもしろいんだかわからなくなっていたが、よく考えたらえらいおもしろいことにまきこまれていることに気が付いた。

某有名マンガに登場する、生命エネルギーを活性化する呼吸法にそっくりな技術を学ぶ、護身術の流派がある。

RPGの代名詞であるヒーリングができる、というひとにはしょっちゅう会う。

人のこころが読めたり、別世界の住人(ゆうれい?おばけ?)と会話したり、彼らに支配・被支配されていたりするひとがいたりする、なんていう話しは耳タコだ。

護身術の達人であると同時に催眠療法の達人なんていうひとにも出会った。

このあいだにいたっては、身体のしなやかさを手に入れるために、護身術の稽古を利用する、という劇団の稽古にお邪魔した。

と同時に、なぞのエネルギーをふきこまれたり、病気直しをしてもらったり、身体加工のレッスンに参加したり、催眠術をかけられたり、と謎の体験をしまくっている。

なにがおもしろくてインドネシアの護身術を追い回してるのか、わけわからなくなっているのは事実だ。

しかし、そのなんだかよくわからん混沌とした魅力にひかれて、今日も達人や古老の話を聞くために西へ東へと右往左往しているのである。

ジョクジャカルタ通信[01]

科学? 勘違い? 呪術? 呼気と身体動作を通じて、
なにかよくないものを身体から吸い出す。
昨日、下宿でテレビの深夜放送を見ていたら、悪意のある霊魂に憑依されたひとと、イスラームの宗教指導の先生らしきひとが対決していた。どうやら撮影現場はジョクジャカルタのようである。渦中のふたりを取り巻くように深夜のムスリム墓地に周辺住民もあつまって、固唾をのんでみまもっている。

憑依されたひとは、30歳代前半のやせた男性で、すりきれたTシャツにうすよごれた半ズボンで、はだしという調子はずれな服装をしている。しかしながら、目つきの鋭さは正気を失っていることを物語っている。彼の身体は電流をながされているかのような振動をくりかえしている。

イスラーム指導者のほうは、壮年で身体つきもよく、こぎれいなかっこうをしている。イスラーム男性のトレードマークともいうべきあごひげをたくわえている。彼は悪霊の挑発にまったく動じず、どっしりと構えている。とり憑かれた男性に対して、興奮した病身のひとに言って聞かせるようなおだやかさではなしかけている。

悪霊のあゆみは土煙をおこし、不穏な空気を助長する。「ここは俺の土地だ。好き勝手して当然だ。邪魔するつもりか?やってみろ!」とまわりのひとを挑発しはじめた。「この男の身体は俺がもらっていく」と悪霊が告げると、イスラーム指導者は落ち着いてはいるが、迫力を感じさせる口調でそれを制止し、座してクルアーンの章句とおぼしきものをとなえはじめた。悪霊に憑りつかれた身体は、獣のような重心の低さを保ったまま、シラットのようななめらかな動きをしはじめる。怪奇映画の化け物のような不自然な動きで、不届きな挑戦者にあゆみよっていく。

ところが、悪霊はあと一歩が踏み出せない。まるで真正面から強風にあおられているかのようだ。すると、悪霊の憑りついた身体は、なにかに弾かれたように後方に投げ出された。寝ころんだまま、ガクガクと震え出し、白目をむいている。イスラーム指導者は左手で男の身体をかかえ、何度も右の手のひらで男の背中から首を払うようにしている。首をとおりすぎた右手は、男の後頭部のあたりで握りしめられる。悪霊を抜いているのだろうか。右手を払う際にかなり強く鼻から息を吐き出している。右手が握りしめられるたびに、男の身体はビクンとはねあがり、回数を重ねるにつれてそれは徐々におだやかになっていった。

そういえばこの光景、ジャワの伝統的なトランス芸能のジャティランでも見たような覚えがある。ついでにいえば、呼吸法を得意とするシラットの流派の稽古を見に行ったときにも、同じようなものを見た。呼気と身体動作を通じて、なにかよくないものを身体から吸い出す。この技術が科学的なものなのか、ただの勘違いなのか、あるいは呪術的ななにかなのかは私には判別がつかない。テレビの放送も本物なのかやらせなのかは区別がつかない。しかし、インドネシアで生活していると、実際にこのような身体のありようを目にする機会がある。

日常のなかのシラット
[01]ジョグジャカルタ 下宿への深夜の訪問者
午前3時。
開放していた窓がガタガタ、と音を立てた。
私が今間借りしている下宿は、入り口と出窓が道路から丸見えの部屋しかない。
どう考えても泥棒だ。部屋の明かりはついているのに、ふてえやつだ。
そういえばジャワの泥棒道って論文あったなあ。
いやいやいや、そうじゃないでしょ。
あきらかに緊急事態だ。
右手にはマドゥーラ島のシラット 使いからもらったバカでかい鎌、左手には西ジャワのシラット使いからもらったラタンの警棒をにぎりしめる。
「おいコノヤロウ、やっちまうぞ」
などと日本語ですごむ。あれ、インドネシア語じゃないと通じないじゃないか、とこころのなかでツッコミを入れる。
もしこれで押し入ってくるような輩だったら、いのちが危ない。やるかやられるかだ。
ところが、5分たっても10分たっても足音もない。
20分たったところで、疲れてきた。殺気だつのもしんどくなってきた。
ふと、なにかを引きずるような音がした。その音は、母屋の扉を開く音と同時に、母屋のなかへと消えていった。その後、いくら待っても母屋からなにか出ていくような気配はなかった。
あれ。なんだこれ。なんかおかしい。
納得がいかない。

午前3時すぎにも関わらず、集落の町内会長を電話でたたき起こす。町内会長は52歳の壮年男性だが、シラットの使い手で、なんともいえない威厳がある。彼が来てくれたら一安心だ。
 今村「今、この下宿に泥棒がいるかもしれない。危ない。1人では身の危険を感じる」
 会長「ふむ」
 今村「町内会長さんが来てくれたら安心だ」
 会長「あー、それはその下宿にむかしからいるやつだ。気にするな。なんの危険もない」
 今村「気にするな?」
 会長「もしどうしても気になるなら、ジョコさん(仮名)がなんとかするから」
意味不明だ。なんのことやらよくわからん。むかしからいる泥棒ってなんだろう。
ジョコさんもそういえばシラットの使い手だったな。
というか町内会長、泥棒ですよー。仕事してくれよー。
 今村「いやいやいや、泥棒なんだってば。ちょっともうホント助けてください」
 会長「それは私たちの世界の外側にいるやつだ。気にするな」
 今村「はい、はい…はい?」
妙な違和感を抱えたまま、のぼってくる朝日を無視して床につくしかなかった。

その日の夜、夜警のための寄合所に行くと、待ってましたとばかりに質問の雨あられを浴びせられた。
なにがあったのか、どんな形をしていたのか、見たのか見ていないのか。
お前の住んでる下宿はむかしっからなんか出るんだ。母屋のほうにトラがいるのを見たってやつもいるぞ。窓が揺れたのはきっと、夜更かしをとがめたんだ。表のほうに出るのは、下宿の以前の持ち主だったばあさんの形をしているんだ。
え?怖いのか?怖いならジョコさんに頼みな!このアゴヒゲが腹まで伸びているおっさんだよ!こいつは幽霊の王様だからな!
(ジョコさん)「そうだな、もしお前が怖いなら、明日なんとかしにいってやるよ。」
武術であるはずのシラットの使い手が除霊ってどういうことだ?
 

(※)プンチャック・シラットが公式的な通称であるが、状況や文脈によっては、プンチャック、またはシラットと呼ばれることも多い。ここでついでに、プンチャック・シラットとはなんなのか、ちょっと考えてみたい。歴史的・政治的な背景を考慮にいれ、できるかぎり(知っている範囲の)事実に即し、プンチャック・シラットの仮の定義を書いてみた。今後、文献やインタビューをつうじて、検証・修正を行うつもりだが、今のところは以下のような仮説が立てられるだろう。プンチャック・シラットの身体的描写をする能力はないため、あしからず。

[02]解説:プンチャック・シラットについて
現在、インドネシアと呼ばれている地域では、各地の各民族、各個人がそれぞれの事情や状況、嗜好にあわせ、戦闘のための手段を開拓してきた。歴史的事件や交易、個人の移動をつうじて、インドネシアに限らず、周辺の各地域のひとびとがもつ戦闘手段との交流がおこり、それぞれの地域でそれぞれの事情に合わせ、発展・継承・拡大してきたと思われる。そうした戦闘の技術は、各地の風土と統合したり、国家という政治体のもとで体系的に再構成されたりすることもあった。

インドネシアが国家として独立して以降、行政府は、300の民族を統合する必要から、ナショナル・カルチャーの創造を迫られた。明確な理由は調査不足のため不明だが、インドネシアにおいて武術の指導・継承・実践に励んできた人びとのうち、ナショナル・カルチャーの思考に同調したひとびとは、歴史的にはぐくまれてきた、多様でありながらも共通項をもつ各々の武術の技や哲学を統合する組織を形成することにした。この組織こそが、名づけの論理もばらばらで、指導方法や組織体系もそれぞれに異なっていた武術のうち、彼らの想定に合致するものを選択的に統合していき、これらを総称するために、プンチャック・シラットという名称を与えたようである。

インドネシアには、プンチャック・シラットの範疇にはいらない伝統的な戦闘の技術がある。また、現在進行形で新たな格闘技が創造されている。また、プンチャック・シラットと呼ばれているものもなにかしらの変化をする可能性をはらんでいる。プンチャック・シラットに関する公式的な説明では、あたかもこの三点がなかったかのように語られがちだ。

まじない師にもらった魔よけの金の板
今日は珍しく、一日中、豪雨だ。
数年前までのジョクジャカルタでは、雨季を通して、一日のうちのいつ頃雨が降るか、なんとなく予想がついたものだった。しかし、地球温暖化の影響なのか、異常気象なのか、最近の雨季はめちゃくちゃだ。
急に雨がふりだしたかと思うと小雨になったり豪雨になったり。一日中土砂降りかと思えば、次の日はそこぬけの快晴だったりする。
まじない師にもらった魔よけの金の板
鉄の外門を開く音がする。
あざやかな緑と黄色のサイケデリックな色合いをした下宿の扉がノックされる。
ジョコ(仮名)さんだ。ジョコさんは東ジャワ出身で、シラットの使い手であり、私の住む集落では、悪魔祓いもできるまじない師として知られている。


まじない師にもらった魔よけの金の板「イマムラ!この封筒を部屋のなかに置いておけ。場所はどこでも構わん。部屋のなかにおくんだぞ、いいな。これがあれば、もう大丈夫だ。俺は(心霊事件の解決やら治療やらで)いそがしいので俺はもう行くぞ!じゃあな!」
ジョコさんは、会うなり言いたいことをまくし立てて、手のひらよりも小さい封筒をよこしてきた。封筒のなかには緑の紙包みがあり、そのなかにはなにかかたくて平べったいものが入っている。包みのなかに入っていたのは、ジャワ文字が彫られた金板だった。

後日、ジョコさんが金板について説明してくれた。ジョコさんはその金板をラジャー(rajah)と呼んでいた。インドネシア語―日本語の辞書には、「魔除けの絵」と書いてある。ラジャーには霊的な存在が棲んでおり、はなしを聞く限りでは、霊を使役し、日常の手助けとするようだ。
はて、シラットと魔除けに一体何の関係があるのやら。

人生の道のりにある3つの段階
ジョクジャカルタでシラットにまつわるおはなしを聞き集めていると、ときおり、人生の道のりを3つの段階に分けて説明するひとがいることに気づく。

ひとつめは、カヌラガン(Kanuragan)。若さを意味し、ちからづよい身体が重視され、暴力をともなう喧嘩や若気のいたりといえるような行為を楽しんでいる時期をさす。身体が貧弱なひとはカヌラガンがよくないと評価され、老年にも関わらず若者のような振る舞いをするひとは、いまだカヌラガンの段階にとどまっている、とみなされる。ここに呪術的な要素が入る場合もある。

ふたつめはカスプハン(Kasepuhan)。Sepuhは老いを意味する。この段階にあるひとは、神秘主義的な傾向をもつ知識(霊的な存在や呪術、また呪術への対抗手段)を集め、実際に得た知識を実践する。

みっつめはカサンプルナアン(Kasampurnaan)とよばれる。人生の完成、ないし完成を目指す時期で、一般的には死期を悟った老人が、残りの人生を、なすべきことのみについやす時期で、より哲学的な学びがなされる。小乗的な発想が根底にあるようで、家族や社会のことからは距離をおいて、実践者個人と創造主との関係のなかで生きる、と説明される。私は、個人が創造主の思いに応じて生きる、ということだと解釈している。カスプハンとカサンプルナアンは、年齢によって区切られる要素がないため、ある個人がどちらの段階にあるのかを判断するのはなかなかむずかしい。私の知る限りでは、カヌラガンやカスプハンの知恵を好奇心に任せて実践しないかどうかが、カサンプルナアンの時期に入っているかどうかのひとつの指標となっているようだ。

この3つの発展段階を用いた説明も、ひとによって少しバリエーションが見られるが、大筋では以上のように説明される。戦闘技術としての、身体をつかったシラットはカヌラガンとして学ばれる。

武術と呪術に精通している町内会長と自治会長
カスプハンの呪術的な要素をどのタイミングで、どこでどのように学ぶかは個々人によってばらばらなようだ。イスラーム系の施設で学ぶというひともいれば、呪術師に弟子入りするひともいる。シラット使いのなかには、シラットの学びのなかに呪術的な学びが組み込まれている、というひともいる。なかには、身体的な鍛錬なしに、呪術的な要素だけを学ぶ、というひともいるようだ。

呪術に支配されてしまうと「つらい死をむかえる」(susah meninggal)といわれる。医学的には肉体はすでに死をむかえているのに、身体にはいりこんだ呪術が、そのひとを死なせないのだ。このような状態になってしまったひとは、呪術を抜かなければ死ぬことができない。呪術を抜くには、呪術の知識をもつひとに頼るしかないようだ。

武術と呪術に精通している町内会長と自治会長私の住む集落の自治会長は、東ジャワに住んでいたころにシラットを学び、イスラームの宗教施設で呪術的な学びを修めたようで、移住してからは霊的・呪術的な障害になやまされるひとや、病気を患っているひとびとを治療するために忙しく過ごしているらしい。

こんなことを書いていると、まるで未開の地に住んでいるかのように思われるかもしれない。しかしながら、実際には高学歴のひとたちばかりだ。学士はもちろん、修士号をもっているひともいるし、大学教授や政府要人、高名な芸術家も住んでいる。高学歴のひとびとが、夜な夜な、夜警の詰め所にあつまっては、政治談議に花を咲かせたり、下世話な冗談をいったりする。ここでは、霊体験も怪しげな神秘主義もありふれた冗談として消費されていく。

インドネシア人はおばけばなしには興味津々だが、ときおり、わざと霊的な話題を避けようとするときがある。ところが、私の住む集落では、おばけばなしは、むしろお決まりの笑い話である。ついでにいうと、どうやらこの集落は霊的な事件が頻発する集落として有名で、「霊のたまり場」といわれている。私の住む下宿は、霊のたまり場とされる集落のなかでもとくに有名な心霊スポットだったようだ。

こんな状態にもかかわらず、集落のひとびとはいつも変わりなく日常を送っている。町内会長も自治会長も、格闘の達人で、呪術的なことに精通している。政治的・歴史的な背景もあるのかもしれないが、この二人の存在が、この集落が平穏を保てる理由のひとつなのかもしれない。

[01]インドネシア留学で体験した、シラット武術のあれこれ
プンチャック・シラット(pencak silat)は、マレー世界に根を持つ、護身、舞踊、運動競技(スポーツ)、精神修養の4要素から成る武術(護身術)です。マレー世界各地に散らばる格闘技的な身体技法をプンチャック・シラットと総称したのがその始まりとされています。
プンチャック・シラットに関する歴史学的・実証主義的な研究はほとんどなく、実際にどのような武術であったのか、そして社会のなかでどのような役割を果たしてきたのか、という部分については、いまだに不明な点も多いです。

歴史科学的には物足りないかもしれないですが、口頭伝承で個々の流派のなかで伝えられてきた歴史に耳をすますと、どうやら数百年から1千年ほどまえにはすでにプンチャック・シラットの原型があったのではないか、とか、インドネシア各地で盛衰した諸王国において、軍隊養成や貴族の精神鍛錬に利用されてきたのではないかという推理はできそうです。
とはいえ、あくまでもそれは推測・憶測の域を出ないため、公に喧伝するのははばかられているようです。

ところで、プンチャック・シラットはプンチャックとシラットというふたつの単語がくっついたもので、それぞれ意味がすこしずつ異なります。
プンチャックとシラットという単語の由来については諸説あり、専門家や実践者のあいだでも見解が割れています。
ここでは、歴史科学的な考察や無理やりな一般化は避け、今村(/私)がフィールドワークする過程で見聞きしたインドネシアの人々の声を手がかりに、プンチャックとシラットの意味合いを追いかけることからはじめてみようと思います。

インドネシアの政治・経済の中心都市が点在するジャワでは、怒って地団駄を踏むことをプンチャ・プンチャ(penca-penca)といいます。実際、ジャワのシラット使いは、プンチャック・シラットのなかでも、踊り的な要素をもつ動作やその音楽にのっている様子を指して、プンチャックとよぶことがあります。

老年のシラット使いのなかには、「昔はその辺に住んでいるちいさなこどもたちに、『さあいっしょにプンチャックをやって遊ぼう』などと呼びかけて、広場で和気藹々、楽しくプンチャックをやったものさ」と語るひともいます。

プンチャック・シラットはたしかに殺人術としての技もありますが、こうして日常風景のなかにとけこんでもいたようです。

ジョグジャカルタのプルピ・ハリムルティ(Perpi Harimurti)の道場にて。1940年代には、全国各地のシラットの達人らがこの道場を訪ねてきた、と言われている。(友人撮影)ジョグジャカルタのプルピ・ハリムルティ(Perpi Harimurti)の道場にて。1940年代には、全国各地のシラットの達人らがこの道場を訪ねてきた、と言われている。(友人撮影)


[02]地域から学ぶシラットという言葉の奥行き
シラット(silat)のほうは、スマトラ島でシレッ(silek)と呼ばれていた武術から取られた言葉だと一般に言われています。また、シラットの語を使った慣用語句に、ブルシラット・リダー(bersilat lidah)というものがあり、「口げんか」という意味です。一方で、シラットの語は、友好的交流を意味するシラトゥラフミ(silaturahmi)から取られたと主張するひとも少なくありません。

流派間の交流はともすればトラブルの原因となりがちですが、そこでシラット使いは以下のように強調します。「われわれはあなたがたの技を盗みにきたのではなく、仲よく交流したいだけです。どちらがよりすぐれているという議論はわきに置いておきましょう。なぜなら、天高く見える空のうえにも、またさらに空が広がっているのですから(diatas langit, masih ada langit:上にはうえがいる)。お互いに研鑽をつむよい機会にできるとうれしいです」と。

プンチャッ・プンチャもブルシラット・リダーもシラトゥラフミも、ひととのコミュニケーションや、身体的・感情的な接触を基盤にしていると解釈することもできるかもしれません。

プンチャック・シラットという用語は、公定的な定義がすべてというわけではありません。また、プンチャック・シラットが身体的・感情的コミュニケーションを基盤とする身体技法であるという見方も、今村(/私)の個人的な意見によるものです。

プンチャック・シラットの用語は、インドネシア各地ないしは、より広いマレー世界で受け継がれてきた格闘の技術、それぞれの土地に根付いた精神哲学が国民文化として統合される過程で提出された概念でした。プンチャック・シラットとよばれる技法の本質は、地域ごと、流派ごと、ひいては個々人の考え方に内在するものなのかもしれません。プンチャック・シラットをまるごととらえるには、その多元的な諸相を見つめる必要がありそうです。

北ジャカルタに住むブタウィ人の伝統的な結婚儀礼では、シラットを交えた新郎側と新婦側の代表者の儀礼的決闘が行なわれる。この写真の建物を所有するテラザム・グループ(Sanggar Terazam)は、儀礼的決闘の運営と代行を行なうことで、ブタウィ人の伝統保全につとめてきた。この日は、テラザム・グループとその友人のシラット使いが集まり、私のために寄合と儀礼的会食を催し、かつシラットの演武を披露してくれた(テラザム・グループの団員撮影)。彼らは、インドネシアにおけるプンチャック・シラットの文化的なプレセンスを高めるために、カンダン・ゴリラ(KANDANG GORILLA)というグループを創設した。この会の取りまとめをするのはGalih Imanさんはいくつかのシラットと、スンダ流グラウンド・ファイティングを修めている(Silat Paseban-Taqwa Betawi, Silat Pengasinan Jalur Babe Uwie Effendi, Macan Ngawahan:Ujungan/stickfighting, Dogong/ Sunda Grapling)北ジャカルタに住むブタウィ人の伝統的な結婚儀礼では、シラットを交えた新郎側と新婦側の代表者の儀礼的決闘が行なわれる。この写真の建物を所有するテラザム・グループ(Sanggar Terazam)は、儀礼的決闘の運営と代行を行なうことで、ブタウィ人の伝統保全につとめてきた。この日は、テラザム・グループとその友人のシラット使いが集まり、私のために寄合と儀礼的会食を催し、かつシラットの演武を披露してくれた(テラザム・グループの団員撮影)。彼らは、インドネシアにおけるプンチャック・シラットの文化的なプレセンスを高めるために、カンダン・ゴリラ(KANDANG GORILLA)というグループを創設した。この会の取りまとめをするのはGalih Imanさんはいくつかのシラットと、スンダ流グラウンド・ファイティングを修めている(Silat Paseban-Taqwa Betawi, Silat Pengasinan Jalur Babe Uwie Effendi, Macan Ngawahan:Ujungan/stickfighting, Dogong/ Sunda Grapling)

 

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