To Belong Essays ■ 森永泰弘

森永泰弘のサウンド・デザイン活動日誌
~通文化的フィールド・レコーディング~

 

森永泰弘・プロフィール
森永泰弘サウンドデザイナー、サウンドアーキビスト、ミュージックコンクレート作曲家。東京藝術大学大学院映像研究科博士課程を単位取得退学後、映画理論家/作曲家のミシェル・シオンに師事。大学院在学 中より世界三大映画祭(カンヌ国際映画祭、ヴェネチア国際映画祭、ベルリン国際映画祭)でサウンド・デザイナーとして関わった作品等が発表された他、ヴェネチア・ビエンナーレ(イタリア)、ポンピドゥー・センター(フランス)、スミ ソニアン・インスティチュート(アメリカ)、TEMPO REALE音響センター(イタリア)、ミラノ・サローネ国際家具見本 市等のフェスティバルや機関で作品が発表されている。国内外のアーティストとのコラボレーションも積極的に行って おり、園子温(映画監督)、勅使河原三郎(振付家)、田名網敬一(イラストレーター)、ホー・ツーニェン(美術家)やクリ ス・チョン(映画監督)、タイキ・サキピスト(映像作家)など多岐に渡る。制作のスタイルは、通文化的なフィールド・ワークによる世界各地の少数民族の音楽、環境音やオーラル・コミュニ ケーション等の録音と、それらを素材に扱った音楽制作である。近年イタリア南部とインドネシアのジャワ州を中心に フィールド・ワークを行っている。(Photo by Chiara Caterina)

インドネシア滞在(ジャカルタ/スラカルタ/ジョグジャカルタ)[01]

彼らは、インドネシアの音楽を次の次元へと導いた
稀な作家達だといえるだろう
2ヶ月ぶりのインドネシア。今回は11月に行う『To Belong』アップデート版に向けてのリサーチ&ミーティングを行うために来ている。

ジャカルタでは、恒例のスラバヤ通りで古レコードの資料調査。毎回来るたびに思うことだが、この通りの古レコードがどんどん減ってきている。そしてその価格も以前に比べて1.5倍ほど高くなっている。レコード屋の店員によれば、インドネシア音楽の古レコードがローカルの若者達に人気が出てきたこと、海外での再発やコンピレーションCDが続々とリリースされていること、欧州の買い付けバイヤーが一気に増加したことが原因で、インドネシア音楽の古レコードの価格が全体的に高騰しているようである。そして、ここで売買されたレコードは、ebayなそのインターネットサイトで高額取引されているようだ。現地のレコード屋の店員達は日々、サイトをチェックしながら国外でのインドネシアのレコード市場を確認している。これが今のインドネシアのヴィンテージ・レコード売買における需要と供給のサーキュレーションだと思うとすこし複雑な気分である。

馬場正道さんというアジア音楽を専門にしたレコード収集家と久しぶりに会って話しを聞いた今回、馬場正道さんというアジア音楽を専門にしたレコード収集家と久しぶりに会って話しを聞いた。彼は一年に一回、レコードを買いにジャカルタへ来る。彼によれば、スラバヤ通りには、もう珍しいレコードと出会う機会がほとんどないと言っていた。ここ数年インドネシアのレコードをリサーチしている身としては、同感だ。しかし、この国の音楽文化のレべルを考慮すれば、この状況は悪いことではないはずだ。政治や経済あるいは環境や民族間の影響で埋もれていた音楽が、外からの手が施され耕されることで、再び生き返り、活性化し、新たな文化を発信するきっかけを作っている。アメリカの作曲家コリン・マックフィーはバリ島の音楽をウォルター・シュビーツが現地録音したレコードを聞き、インドネシアの音楽をよりインターナショナルなものへと導いた。このようなきっかけを与えたのが、複製メディアなのだ。レコードやCDといった複製メディアは、作り手/録音者の知らないところで聴くことが可能になる。世界のどこかで今まで知る事のなかった音楽の世界を複製メディアが教えてくれるのだ。そういう風に思えば、インドネシアのレコードの需要が高まり、新たな音楽文化の発信を築くきっかけを与えていると思えば、レコードの価値が上がって、手に入れることが困難でも気にならない。

スラマット・グンドノ伝統的な音楽や舞踊が現代の側から解釈され、掘り下げられ、新たな音楽文化や表現へと向かう路においては、エレクトロニクスの文化で構築された技術が大きく関わっていることは疑いの余地はないはずだ。現にインドネシアの音楽では、スラマット・グンドノやエンダ・ララス、そしてジョグジャ・ヒップホップ・ファンデーションというアーティストが活躍している。彼らは伝統や外からの情報を自己表現に適応させ、インドネシアの音楽を次の次元へと導いた稀な作家達だといえるだろう。

インドネシア滞在(ジャカルタ/スラカルタ/ジョグジャカルタ)[02]

その文化背景を理解した上でまず「聴く」ことが、
研究することにとって最も大事なこと
今回、音楽プロデューサーのデビット・タリガンとも話す機会があった。彼は60-80年代のインドネシアの音楽産業について、現場の第一線で仕事をしていた人達からの話をサーべイしており、貴重な話をいくつも聞くことができた。彼と話していて考えさせられたのは、インドネシアの音楽を研究している人は世界中でいっぱいが、どれだけの研究者が実際にこの数えきれないこの国の音楽を聞いているのだろうか、ということであった。大衆音楽から伝統音楽まで、インドネシアには数えきれない程の音楽が存在する。それを文献やインターネットの検索のみに頼ってしまい音楽自体を聴かずに研究をしている者はすくなからずいることだろう。これは音楽だけに限ることではない。作り手側にも同様なことが言える。音楽を専門とする人は、その文化背景を理解した上でまず「聴く」ことが、研究することにとって最も大事なことだという共通認識についてデビットと話ができたことはよかった。

今回、上で挙げたグンドノ、エンダ、ジョグジャ・ヒップホップ・ファンデーションの方々と会って、次回の『To Belong』の公演に向けてミーティングをした。プロジェクトリーダーの北村明子と合流し、まずはジョグジャカルタで、マルツキ・モハメッド(aka Kill the DJ)に会った。私自身、かれらの活動は知人を通じて聞いていたので、会って話すことができたのは嬉しかった。ジョグジャ・ヒップホップ・ファンデーションは、ヒップホップのビートにジャワの伝統音楽を融合させ、かつシャイレーンドラ朝のサンスクリット語を使いながらラップするというグループだ。

まだ日本国内では知られていないが、欧米ではインドネシアを代表する音楽グループとして知名度があるようでホワイトハウスでもライブをしたみたいだ。このグループのリーダーであるマルツキは自身のキャリアのスタートを美術家としてスタートし、その後、タルヴィン・シン(インド系の英国人音楽家兼タブラ奏者)と出会い、自分のアイデンティティを見つけるベくジャワの伝統音楽形式や楽器を使ってヒップホップを始めた。このジョグャ・ヒップホップ・ファンデーション、インドネシアでも相当の人気のようで、コンサートをすれば最大で一万人近くのオーディエンスが来るようだ。映像を見せてもらったが、確かにものすごいパワーだ。彼らとのコラボレーションの実現に向けてもっとインドネシアの文化や歴史を勉強しなくてはならないと感じた。

さて、マルツキとのミーティングの後は、友人のホンゴと彼の奥さんをソロから車でジョグジャまで呼び出し、そのままソロへ直行してもらった。1時間弱で到着すると思っていたら案の定2時間オーバー。この日はホテルに到着後、就寝。

ソロでは歌姫エンダ・ララスとスラマット・グンドノのレコーディング。予期せぬミスコミュニケーションで一時はレコーディングを中止にせざるを得ない状況となったが、問題は無事に解決し、以前レコーディングした野外スタジオでフィールドレコーディングを行ってきた。前回と同じようにインドネシアの楽器をたくさん持ち出し、若手演奏家を交えてのレコーディングだ。今回は以前レコーディングした音楽を再録音したり、それらをアレンジし直したものを録音した(グンドノの演奏は決して同じものにはならない。毎回演奏が変わるので、レコーディングはいつも難しい)。そんな中、新曲、『サイレント・ラブ』を録音できたのは幸運だった。「サイレント・ラブ」はグンドノがジョグジャカルタに行く度に車で通過する繁華街のマリオボロ通りから、売春宿が立ち並ぶ通りの人々の生活を歌にしたものだ。ここの生活を彼のヴォイシングで被せてゆく。圧倒的な歌声と、それをサポートする不安定な縦笛の音が何故か録音している僕のハートをキャッチした。久しぶりに涙の出る音を録音できたと思った。グンドノも僕も非常に気にいった一回限りの即興のレコーディング。これは今回のレコーディングのハイライトだった。

次に行ったエンダ・ララスとのレコーディング。前回と同じ彼女の亡き父親が所有するオープンスぺース・スタジオにて、マルチ・インストルメンタリストのダニスと一緒にレコーディングを行った。ダニスはチェロ、ギター、ウクレレ、インドネシアの楽器はほとんど弾くことができる。彼の見事な演奏、エンダのソプラノ声、そしてそれを取り巻く環境音が見事なハーモニーを作り出していた。インドネシアのシタールやゲンダーは非常に繊細な音で倍音もすごく豊かで、天井が高くオープンな環境だからこそ、倍音がアンビエンスと重なって豊かな音場を創造していた。

11月末に行われる『To Belong』公演では、才能に溢れた彼らとのコラボレーションがどのようになるか、とても楽しみである。

インド滞在記[01]

脱水症状にならないよう、
塩と砂糖が入ったライムジュースをいっぱい飲む
インドネシアからの帰国後、一週間東京にいて、やってきたのはインドのニューデリー。ここに3週間滞在し、現地のコンテポラリー・ダンサー/振付家、Mandeep Raikhyの新作『A male ant has straight antennae』の音楽をディレクションしなければならない。限られた滞在期間なので、出来る事は限られている。気を引き締めて制作を行うしかないテンパリまくった波瀾万丈なインド滞在だった。

海外との共同制作では、通常プロジェクトの先行調査やスカイプでディスカッションをした上で作業に入るのだが、今回は時間もなく、予備知識がほとんどない中で現地へやってきた。入手した情報は、食事と蚊に気をつけることぐらいか。

ニューデリーでの第一印象は、とにかく暑い。40度オーバーが普通だし、食べ物も辛い。日射病と急発汗の戦いだ。脱水症状にならないよう、塩と砂糖が入ったライムジュースをいっぱい飲む。それでも慣れない身体はヘコタレてしまう。結局、滞在2週間目で腹痛が酷くて病院送り。薬を処方してもらい翌日にはなんとか作業ができるようになった。もう一つ。デリーは停電も日常茶飯事。インターネットも途中で切れるので、作業の効率が遅くなる。100MBを送るにも一時間近くかかってしまう。

まあ、それもしょうがないことだ。日本での常識を持って海外に行くと、間違いなくイライラすることが増える。だからこそ、その国の状況に従い、自分のペースを掴んでゆくことが海外で共同制作を行うには大事になってくる。余計なストレスを持っているだけ時間の無駄なのだ。だから郷に入っては郷に従うことが、手っ取り早くモチベーションもキープできる方法なのだと思う。

では、Mandeepとの作品制作について話を戻そう。『A male ant has straight antennae』は男性の身体的筋肉の抑制や拡張、ジェンダーの判別、日常生活から得る行為の知覚や認識の関係性から創発されたダンス作品だ。今年の2月から Mandeepド5人のダンサーは稽古を開始しており、アクト間の結びやダンサー達の動きの微調整など、ほぼ作品は出来上がっている。僕は、何度かリハーサルとランスルーを見せてもらい、音楽の制作作業に入り始めた。

インド滞在記[02]

このクラクションも毎回聴いていると
未来派の音楽を聴いているかのように感じる
音楽制作では、オールド・デリーのフルーツマーケットでレコーディングを行った。マイクを向けると皆が僕の方へ寄ってくるし、よくわからないことを言い出したと思ったら大声で何か説教し始め、人事ニュース(昨年起きたレイプ事件)を突然レポートし始めたり。カメラを向ければ、「俺を撮れ」といわんばかりに大勢の人がカメラの前にくるから前に進めないし、何を撮ればいいのかもわからなくなる。

そしてこのマーケット、異臭が半端じゃない。5mおきに変わった匂いが僕の鼻をつき破る。人間の感覚器官を完全に麻痺させるかのような場所でのレコーディングだったのだ(後にわかったことだが、スコール後の道はこのマーケッドの匂いの10倍は異臭が漂った。オートリキシャで雨の中を走ると、もう息もできないぐらい臭くて死にそうになる)。が、それもインドだ。滞在の最後では、この匂いにも慣れてしまった。

もう一つ面白かったのは車のクラクション音。普通なら危険を知らせるためのクラクションも、デリーではコミュニケーションのツールとして使われる。「あなたの後ろには僕の車がいるよ」とか「これから追い越しますよ」みたいな 感じで、全方向から様々なクラクションが四六時中鳴り響いている。リキシャやトラックの後ろには「Honk Please」と書いてあり、クラクションを鳴らしてくださいとうたってるぐらいである。このクラクションも毎回聴いていると未来派の音楽を聴いているかのように感じる。こういう音はほとんどが男性の象徴だとMandeepは言う。僕はひたすら、このクラクション音やマーケットでのかけ声、男性をシンボライズした音を生活環境から探し出して録音を行い、その素材を用いて音楽を制作した。インダストリアルな電子音と不規則なリズム、ボイスを使い、肉体と身体の両方を想起させる音のダイナミズムを制作する必要があったわけだが、その中から音の物語というのを創造し考察するためには、ダイナミズムの逆をとる音楽も必要だと思える。

まるでモリコーネのようにサスペンスの緊張感をかもす時に、あえて甘い ムードある音楽を流すようなコンドラストのある音楽だ。これをどのように構築するかを全体のアクトを把握したうえで明確にしなければ統一感や躍動感といったものがダンサーの動きや内面から現れにくいし、観客を作品の中へ引き込むことが困難になると思っている。

インド滞在記[03]

ダンスの音楽制作における「録音」は、
「固定音」という考え方の方がしっくりくる
こういう音を構築してゆくコンセプトは、映画のサウンドデザインと似ている。また コンテンポラリーダンスという抽象的な動きに対して具体的な環境音を使った音楽を提示することは両者のバランスを統合しやすく、自分のスタイルでもあるのでやりがいがある。また、制作における手法を辿れば、それにダンスの音楽制作における「録音」は、「固定音」という考え方の方がしっくりくる。

ミシェル・シオンによれば、「固定音」は音を録音するのではなく、あなたの存在自体を記録するという考え方。ミュージック・コンクレートや映画のサウンドデザインがコンテンポラリーダンスでは特に活きると改めて感じた。毎回、振付家や映画監督にコラボレーションする度に言っていることがある。それは、音楽、映画の音楽、ダンスの音楽は全く異なる言語で制作されると。

音楽家が舞台の音楽を制作しても、そのほとんどが劇伴効果となるアンダースコアになってしまうのは、この違いをわかっていないからである。映画にとっての音とは何か、ダンスにとっての音とは何かを区分しながら、考察し、コンセプチュアルに自己の表現をしなければ、音楽の力は強すぎてしまい、作品の全体性は台無しになってしまう。

ミケランジェロ・アントニ オーニとジョバン二・フスコのコンビネーション、あるいはマース・カニングハムとジョン・ケージ作品は、アヴァンギャルドとかそういうジャンルに関係なく、作品のバランスが視聴覚で豊かなバランスを築き上げていることがわかる。とはいえ、もちろん、劇伴的な要素が映画やダンスに不必要だと言っている訳ではなく、コンテクストを理解した上で音が視覚的要素とうまく同期することが作品本来の総体性と芸術性を創造するということを理解しなければならない、ということである。

話が脱線し過ぎたので、Mandeepとの作品の方に話を戻そう。この作品を制作していくうえで、色んな人からの協力もあり、踊り、光、音が見事にシンクロナイズしたものとなった。デリーで一番大きな会場の一つ、Kamani Auitoriumが満員御礼(700人前後)で、終了後の鳴り止まない拍手に少し感動した。あっという間の3週間だったが、なんとかプロジェクトが完了したことを感じた一時であった。いつか日本でこの公演が実現できればな、と思う。

インド滞在記[04]

物語を伝えることは、音のレベルと密な関係にある
このKamani Auditoriumで気がついたことが一つ。インド人は爆音が好きだということ。リハーサル中、Mandeepやスタッフらは全体で3~5dbぐらい音量をあげてくれと言ってきたことだ。正直、日本や海外の劇場では考えさせられない程の爆音がインド人は好みらしい。これを深読みすれば、インド(デリーしか知らないので断定できないが)は基本的に生活環境の音量レベルが高いということだ。常に鳴り響くクラクションやサイレン、人の声や工事現場の音量が大きい。したがって、話し声も他国の人よりも大きい(イタリア人ほどではないが)。

このような環境の中にいれば、音量の標準レベルは高くなる事は当然だ。周囲の音が大きければ、そこで意思疎通をする音声も必然的に高くなる。あとインド映画やミュージカルなど音楽劇が娯楽の中枢を担っている現代インドの舞台芸術は当然ながら音楽をメインにするわけだから、当然ながら音楽の音量レベルも通常の舞台に比べて高くなる。

こういう状況のもと文化が育った現代のインドの舞台芸術で、今回のMandeepのようなナラティブな要素を持つコンテンポラリーダンスの音楽のレベルを上げることは、少し躊躇するし考えさせられる。物語を伝えることは、音のレベルと密な関係にある。演劇や映画では声を聴かせなければならない。ダンスでは動きに観客の視点を集中させなければならない。

しかし音が主張し過ぎると、この緊張感を引き起こすドラマトゥルグの時間軸は観客にうまく伝わらないと思える。もちろん作品とそのコンセプト次第ではあるのだが。少なくとも今回のMandeepの作品は音量が大きいところと小さいところ(視覚芸術で言えば、音量が遠くまたは近くに位置付けられるか否か) のバランスは非常に重要な要素となる。このレベルのオペレーションが実は今回の作品のキメになったと僕は思っている。他にも色んなアイディアや反省すべき点は山ほどあるが、このエッセイではここまでにしておこう。

物語を伝えることは、音のレベルと密な関係にある物語を伝えることは、音のレベルと密な関係にあるさて、ダンスの音楽以外にも僕がインドでエキサイティングしたこと。そう、その通り、レコード漁り!デリーには中古レコードを売っているお店が3店しかない(まだあるかもしれないが、自力で探すことができたのは3店のみ)。どのレコード屋もほとんどの人が辿り着くことができないと思わせる場所にあった。一つは人ごみで身動きすることもできない大通り沿いにある女性用の靴屋の中にある階段を上がったところ。工業用部品を扱っている蠅と蚊だらけのマーケットの中。そして最後はガレージ倉庫の中。今回、僕が狙っていたレコードは、伝統楽器を使った異分野音楽や70~80年代 映画のサントラで、レコード屋の店員も埃に埋まったレコードをいくつも取り出してくれた。

物語を伝えることは、音のレベルと密な関係にある物語を伝えることは、音のレベルと密な関係にあるシタールで弾くラテン音楽や南インドのベンガル・フォーク、ボリウッドの映画音楽をスティール・ギターで演奏したやつ、パキスタンの映画音楽(Lollywood音楽)は良かった。あとはタミル地方のサントラとボリウッドで名を成した音楽ディレクター達のレコードは、世界のどこにもない音楽で感動の嵐。インドの映画音楽をまじめに勉強しようと心に決めた至福の時間を過ごした。

今回のMandeepの新作の音楽ディレクションを可能にしてくれた国際交流基金の松岡さんと土井さん、ダンス批評の武藤大祐さん、技術的なサポートやアレンジをしてくれたGati Dance Forumの皆さんには感謝してもしきれない経験をさせてもらった。これを始まりとして、またインドへ行く機会があることを願う。

雲南での苦戦・その1
現在、僕は中国南部の雲南省でフィールド・ワークを行っている最中だ。To Belongプロジェクトに参加して以来、作品の中で扱ってきた題材(『To Belong-dialogue』では死について、『To Belong-cyclonicdream』では憑依やトランスについて)を考えていくうちに、アジアにおける音と呪術に関することをもっと掘り下げながらリサーチして、自分の音楽・サウンド制作に活かしたいと思うようになった。

これまでインドネシアをベースにした作品の題材から、自分なりの音作りをしてきたつもりだった。それは、音と関連した説話や神話を調べ、現地アーティストとレコーディングし、自分なりの解釈と手法で音を創ってきたということだ。『To BELONG-dialogue』では故グンドノ氏の弾くシンプルなペロッグ/スレンドロ音階を、異なる楽器で演奏したり電子加工し直して音を創造した。『To Belong-cyclonicdream』では、憑依やトランスを引き起こす肉体的抑制と精神開放が「声」にあるのではないかと思い、音声をモチーフに創作した。制作するプロセスを語れば話は尽きないが、To Belongシリーズにおけるインドネシア人との音楽コラボレーションを通じて、インドネシアの伝統楽器ガムランとその音色の源泉は一体どこからきているのだろうと何度も思うようになった。そして行き着いたのが中国雲南省であったというわけである。つまりガムランの源は雲南周辺のドンソン文化と深いつながりがあり、この地域は20以上の少数民族が異文化の中で渾然と様々な音楽や楽器、唄を生活の中に取り入れていることもわかった。さらには、ここの社会状況として年々と少数民族が都会の生活に影響されはじめ、伝統音楽の文化が急速に失われているようでもある。このような状況で僕は、ぜひこの地でフィールド・レコーディングをしたいと思い、現在に至った次第なのだ。非常に安直であるし、下調べも学術研究者に比べれば皆無に近い。しかも中国語もわからなければ現地の方言なんてわからない。そういう状況でいざ現地へ降り立ったわけだから、トラブルが起きないはずがない。

僕が拠点に置いているところは麗江という比較的大きな地域でナシ族が生活している場所である。探検家のジョセフ・ロックによれば、ナシ族は迷信深い民族で、多くの精霊を信じる少数民族のようである。そして中国本土の歴史的影響が残るので、音楽も誰もが思い描くであろう中国宮廷音楽とさほど変わらない印象を受ける。しかし、この地には農民達の労働歌や結婚歌のコール&レスポンス文化が健在で僕はこの辺りの音楽録音にまず興味をもった。実際、興味を持つことはだれでもできるわけで、ローカルのミュージシャンや歌手を見つけて録音させてもらうほど困難なことはない。ひとまず通訳を用意してもらっていたので、滞在している村の年配者に「楽器が弾けないか?」「だれか歌をうたえる人はいないか?」と聞きまくる。フィールド・ワークを行う際、心がけていることは、自分が何者かを名乗って終始笑顔を振りまいて、ひたすら待つことだ。相手とのバリアを感じたら何も起こらない。およそ20人近くの人に電話をしたり隣家に聞き込みをしたりしながら、ようやく色々と関係が築き始めた。レコーディングするまでの過程の方がレコーディングしている時間よりも断然多いのは当然である。ここでレコーディングしたいくつかの音源はいずれCDとしてまとめてリリースするので楽しみにしていてもらいたい。

ナシ族の女性とレコーディング最中ナシ族の女性とレコーディング最中ナシ族の女性とレコーディング最中
こういう聞き込みとレコーディングを続けていれば、そのうち自分が求めていたもの/探していたものと偶然出会うようになっている。そんな中、現地でレコーディングを通じて知り合った友人にトンバ(Dongba)の存在を教えてもらった。トンバ(Dongba)とは麗江やシャングリラ(雲南省の西北部)にいる聖職者(英訳ではwise manとかeducated manと呼ばれているようである)で、シャーマンと近い存在だが、トンバは病気を治癒したりすることはしない。そういう点で聖職者という言い方がいいだろう。動物、自然、家、結婚、死など様々な儀礼を通じて祈願や厄払をする存在であり、迷信深いナシ族の人達にとってはいなくてはならない存在だという。仏教とアニミズムが融合したきわめて特異な儀礼を行う彼らの詠唱はチベットのマントラよりも音楽的であり、インドネシアのマントラよりも読唱度が薄い。その中でも、特に驚いたのがトンバが詠唱するスクリプトだ。独自の象形文字(現存している象形文字を今でも使用している人は世界でもトンバしかいない)で記された経文を詠唱するトンバの歌声こそ、僕が最も興味をもったものであった。とはいってもトンバを見つけ出すのは困難極まりない。それぞれの村に一人ないし二人いるかどうかの存在で、儀式以外の時は普通の人と変わらないから見分けがつかない。非常に運よく、僕は友人を通じてホー・ショー・ドンというトンバと知り合うことができ、レコーディングを数回行うことができた。もちろんレコーディングしている時は彼の声に感動で涙がでる程だったが、問題は別に生じた。ある日、ホー氏の故郷に行く機会があった。車で4時間、雨期でぬかるんだ山奥を進み、ライトもない場所でひたすらレコーディングできるチャンスを伺っていた。しかし、トンバはお酒を飲み始めてレコーディングどころではなくなってしまったのだ。トンバは儀礼を通じて支払われる対価としてアルコールを要求するのが定番のようだ。ホー氏も同様で、出てきましたと言わんばかりにアルコール度数50%はある大麦酒を飲みまくる。5kgのガソリン入れの容器に詰まった大麦酒をがぶ飲みしはじめ、周囲の人間に絡みはじめ、強要してお酒を飲ませていく。お酒の飲めない自分としては、これは究極に辛い。しかも言語もわからないが、自分の名前だけは聞き取れ精神的に辛くなれば、あとはどんどん下降するのみ。完全に精神不安定だ。そんな中、インドネシアでの経験が脳裏を横切った。インドネシアはイスラム教徒が多いこともありお酒を飲まず相手への親切心を直接感じることができるのだが、ラマダン中にグンドノ氏とのレコーディングで熱をだし、そのまま脱水症状+高熱で即帰国したことを思い出し、今回はそういう落ち目にはあいたくないとひたすら気力で持ちこたえた。事実、ホー氏に限らずともこの地の農民は飲酒量が半端ではない。お酒を飲まないと歌ってくれないし演奏もしてくれない。どうもこの地はお酒がコミュニケーションを成立させるみたいである。なんとか残りの滞在を切り抜けて、出来る限り多くのミュージシャンやトンバの詠唱をレコーディングしたいと思う今日この頃である。

ドンバことホー・シー・ドンの故郷で、レコーディングをスタンバイしている最中。ドンバことホー・シー・ドンの故郷で、レコーディングをスタンバイしている最中。ドンバことホー・シー・ドンの故郷で、レコーディングをスタンバイしている最中。 ドンバの詠唱用スクリプトドンバの詠唱用スクリプトドンバの詠唱用スクリプト

 

ホームホーム

プロジェクトについてプロジェクトについて

クリエーションプロセスクリエーションプロセス

次回公演について次回公演について

出演者プロフィール出演者プロフィール

  To Belong EssaysTo Belong Essays
北村明子北村明子
村尾静二村尾静二
森永泰弘森永泰弘
荒谷大輔荒谷大輔
早田恭子早田恭子
今村宏之今村宏之